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▶「サロン柿の木」から

サロン柿の木の活動を部分的に再開しています

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サロンの活動

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小座布団制作

2020-09-27
東館特養と「小東風」ここちの利用者様の椅子布団が薄くなってしまいましたので、補充用の布団を作りました。サロンのボランティアさんは、ベテラン主婦。布を裁断、縫製、綿入れ、手慣れた手つきで瞬く間に仕上がります。布団を手渡すときの利用者様の笑顔がボランティアさんの喜びです。

健康塾(呼吸法体操・レッドコード体操)再開

2020-09-27
少しずつ笑顔が戻ってるサロンです。

健康塾(呼吸法体操)再開

2020-09-27
健康塾(呼吸法体操・レッドコード)が10月から再開しました。人数を制限して二部制で行っています。

蚊やり制作(蚊取り線香を焚く器)

2020-09-27
陶芸作家である松井美枝子さん(サロン協力員)が、「梅っ子農園の梅の枝を燃やした灰を使ったら、どんな色の焼き色に仕上がるか試作してみたい。」とさっそく実行されました。実際に畑で枝を燃やし灰を作りますが、灰はそのままでは使えません。難しい面倒な工程を経て、ようやくサラサラ精製された灰が出来上がります。その灰を振りかけて、1230度の高温で焼かれた蚊やりは、薄いベージュ色の優しい色に仕上がりました。 R.2.9.26 K

三密に注意して歌ったり踊ったり

2020-08-06
東館も本館も今年の夏は、コロナウイルスの予防のため大々的な夏祭りは中止です。代わりに8月3日(火)にサロンで雰囲気を味わっていただくために東館利用者様の人数を少なくして盆踊りを行いました。ボランティアさんが踊り、利用者様は上半身で踊ります。それでも行田音頭や秩父音頭の曲が流れると懐かしそうに口ずさんだり踊ったりお祭り気分を味わいました。

2018/1/26 今日は健康塾の日です。

作業療法士の指導のもとに15人くらいの方が、健康づくりに励んでいます。「自分の健康は自分で守る」が合言葉になっています。
毎週金曜日は健康づくりに特化したメニューで、頑張っています。皆様もぜひ、ご参加ください。

1月25日(木)ランチ会

本日のメニューは①よせ鍋 ②手作り伊達巻 ③白菜の漬物 ④甘ゆず ⑤ご飯 でした。お客様12人(男性6人)と賑やかにいただきました。

2018/1/22

小座布団作り

サロンの皆様で小座布団を作りました。
デイサービスと小東風「ここち」のお客様にプレゼントし、大変喜ばれました。
寒い季節、椅子に座るときに重宝しています。

2017/10/10

嬉しいこと サロン柿の木 運営委員長 杉田すみ

先日ランチ会に参加されたS様が「この前楽しかったよ、今度は何時だい?」と介護士に聞かれたということです。日にちを電話でお伝えすると、仲良しのT様とランチ会に申し込んでくださいました。次回は栗ごはんと冬瓜のカニカマあんかけのメニューをお話しすると、「楽しみだなぁ」と心待ちにしてくださっている様子。サロンの活動が段々と皆様に浸透していっている実感が湧いてきます。
 
もう一つサロンにとって嬉しいことがありました。行田市矢場のS様とK様が新たに運営協力委員に登録してくださったことです。矢場の方は少しふぁみぃゆから遠い場所ですが、そこからも協力委員に来て下さることは大変ありがたいことです。サロン柿の木の活動が広く知られつつあると大変感慨深いものがあります。
 

2017/09/14

おしゃべりが楽しいランチ会 ランチ会責任者 小 嶋 敏 子

ふぁみぃゆ東館の一角にオープンした地域交流館「サロン柿の木」に於いて〈月に2回〉催されている「ランチデー風景」です。ボランティアといっしょに皆で作って皆でおしゃべりしながら楽しく昼食をいただきます。
9月14日(木)のメニューは「サンマの炭火焼き、けんちん汁、漬物、他」食材費は300円の定額。定員は15名ですが、19名の賑わいでした。「やっぱり骨とりサンマよりうまいなあ」という声が聞かれ、炭火焼き生サンマに舌鼓を打ちました。

2010.8.18

盆飾りを設置しました 施設長 小 嶋 敏 子

 今年も盂蘭盆の季節が巡ってきました。利用者の皆様は、ご主人や奥様を亡くされた方が多くおられます。また亡くなられたお父さん、お母さん(特にお母さん)を恋しく思っていらっしゃる方が多いことに驚かされます。お墓に御霊をお迎えに行く盆行事は、利用者様が幼い頃から馴染んできた風習です。施設に入居されたことで、「そうした行事はもう出来ない」と諦めていらっしゃる方が多くいます。そのような利用者様のために、今年も玄関ホールに盆飾りを設置しました。御霊はきっと利用者様のもとにお帰りくださったことでしょう。87歳のAさんは、朝昼夕盆飾りの前で線香を手向けて昔話をしてくださいます。特に母上さまの言葉を鮮明に覚えておられ、恋い慕うAさんはまるで少年のようです。母親の存在の大きさを思います。Bさん、Cさんはご主人に話しかけています。「私は今幸せに暮らしていますから安心してくださいね」と。「16日、お盆様をお送りしますよ」と放送すると、20人以上の利用者様が集まりました。ご近所でいただいた形のよい茄子とキュウリで牛馬をつくり、そうめんの手綱をのせて「また来年きて下さいね」なごりを惜しみながら西の空に「お盆送り」をしました。

2010.7.18 玄関のお迎え花 施設長 小 嶋 敏 子

玄関ロビー花
グラジオラスにリンドウ、南天を添えて。
今年も近所のNさんから、たくさんのグラジオラスの花をいただいた。真っ赤な花の中に黄色が2本、ピンクが1本混じって朝露に濡れている。畑で栽培されたグラジオラスはのびのびと1メートル程に育っているものある。これを見たとき、とっさに「リンドウと南天の葉が合いそう」と思い、さっそくリンドウの花を購入、施設の片隅に植えてある南天の枝を2-3本合わせて生けてみた。南天の緑に赤、黄色、紫が映えてなんとも涼やかに仕上がった。そのうち、どなたかが宣伝してくれたのか、ご利用者が三々五々連れ立って見に来られる。「真っ赤な色がきれいだねえ。」「花はいつ見てもいいねー。」花を囲んでひとしきり話題が弾む。事務所では「お花を見に来てくださってありがとうございます。お茶でもいかがですか。」というわけで玄関ロビーはサロンと化す。
玄関ロビーの生け花は、特養のご利用者をはじめ、デイサービスセンターのご利用者も楽しみにしてくださっている。明日は月曜日、デイサービスのご利用者が集まり、花を囲んで、話に花が咲くだろうな。そう思っただけで楽しくなる。

2010.6.3

3名の要支援1の方と接して 施設長 小 嶋 敏 子

 働き者で料理好きなAさんは、共働きの息子夫婦の家事を精いっぱい支えてきました。感謝され重宝がられる生活は楽しいものでした。しかし、83歳を超えて鍋を焦がすことが何回か続いたのがきっかけで、料理はお嫁さんの手に移りました。物忘れが多くなったAさんに孫たちも軽んじるようなことばを口にするようになりました。Aさんの自信は揺らぎ、息子夫婦との間に目に見えないヒビが入ったように感じました。一度入ったヒビは、少しずつ広がってきたように思えます。Aさんの心は、今揺れています。心が満たされないまま、この生活を続けてよいのか、ヒビがこれ以上拡がらないうちに、息子家族と距離をおいて、心安まる「ついの棲家」(介護施設)を探すべきではないか、と真剣に悩んでいます。
 Bさんは、2人の子供が独立してそれぞれ車で1時間ほどの距離に世帯を持ったため、一人住まいです。この地に生まれ、育ち、85年間住み慣れたBさんにとって、家を離れることは考えられません。子供たちは、交替で見守りに来てくれますが、夜を心配して同居を勧めます。Bさんは、「ここの土地を離れるのはどうしてもいや」「友達と別れるのはつらい」と悲鳴にも似た気持ちを訴えます。
 夫に先立たれたCさんも、独り暮らしをしています。娘さんは近くに嫁いだのですが、夫の両親と同居しています。義理堅いCさんは、嫁ぎ先にお世話になるわけにはいかないと心に決めています。心臓に持病を持つCさんは「夜が怖い」と訴えます。
 上記3人の方は、それぞれ「要支援1」と介護認定を受けています。
 施設にいると、この種の相談や訴えを受けることは、少なくありません。
この「住み慣れた土地を離れたくない」という思いは、殆どの高齢者に共通した願いのようです。こうした高齢者の声に耳を傾け、一つの小学校区に一つ位、見守り付きの高齢者村「みんなの家」のようなものを造ることができないかしら」と夢のようなことを考えています。

2009.12.01

A様をお送りして 小 嶋 敏 子
 
歌が大好き、いつでも何処でも歌を口ずさんでいたAさん。毎日行われる音楽レクリエーションには欠かさず参加し、楽しそうに歌っていました。
愚痴をいうことも、他人の悪口をいうこともない穏やかな人柄は、誰からも愛され、好かれ、Aさんの周りはいつも小春日のようなほのぼのとした雰囲気が漂っていました。
93歳を迎えたAさんの食欲が落ちてきたのは、今年の春の頃でした。
常々「入院はイヤ」とおっしゃっていたAさんでしたが、あまり食べ物を召し上がらなくなった様子を心配し受診したところ、入院することになりました。入院は2ヶ月にわたりました。退院されたAさんが「ふぁみぃゆへ帰れてよかった」とホットしたような表情でいわれた言葉が胸に残りました。
「Aさんのようなご利用者を、家族のように親しんできたスタッフが、施設で看取ってさしあげることができたら、ご本人のためにどんなによいだろう」とかねがね考え願っていましたが、なかなか実行には移せませんでした。
Aさんは、再び食欲が落ちてきました。そんな折、看護課長から、「Aさんは病気もなく、理想的な老衰のかたちをたどっておられます。施設で看取りを実施するならばいまをおいてないと思います。」といってくれました。一口に「看取り」といっても様々な条件(ご本人の意思、ご家族の意向、介護スタッフの心を一つにしたチームワーク、看護師と医師の協力体制等)をクリアしなければ実施できません。職員間でも「老人施設のあり方として、看取りを避けることはできない」という気運が高まりました。
嘱託医の先生とご家族との話しあいが行われ、ご家族も「できれば施設で安らかに最期を迎えさせたい。ぜひ施設での看取りをお願いしたい」と看取り依頼書を提出されました。医師の指導の下にAさんの見取り介護が始まりました。横になっていることが多くなったAさんですが、食欲は落ちてきたものの気分のよい時は歌をくちずさみ、穏やかに過ごされました。スタッフの配慮で天井に、ご家族の写真を大きく引き伸ばして貼られました。そこにはAさんの大好きなお孫さんも笑っていました。その写真をじーっと見つめて指差したりして嬉しそうでした。
ご家族も良く面会に来られ、こうした安らかな日が続くように思われましたが、やはり食べ物をほとんど召し上がらなくなり、うとうとと眠っておられる日が多くなりました。そうしたある日、嘱託医の先生からお別れの時が近いということをお聞きしました。
その夜は、お嫁さんが付き添ってくださり、看護課長も帰らず見守ってくれました。スタッフは交互に手を握って話しかけ、励ましました。そして深夜、穏やかな表情の頬から赤みが失われていきました。スタッフは、足や手をさすり続けました。大好きなお孫さんも、遠くへお嫁に行かれた娘さんご家族もかけつけられ、みんなに見守られながら、明けて2時、満足そうな表情を浮かべて、眠るように目を閉じられました。
スタッフは、「Aさんいろいろありがとうございました。」と代わる代わるお別れを言い、ご家族は、「優しい方々に見送られて幸せでした。」「よい最期でした」と満足そうでした。
後ほど、看取りを実施しての反省として職員から「実施してよかった」「よい経験になった」という意見がほとんどでした。スタッフ全員の心に、大きな自信と、充実感と、満足感が残った看取り(ターミナルケア)体験でした。

2009.07.01

ホームページの開設にあたって  施設長 小 嶋 敏 子
 
忍の城下町として知られる行田市に特別養護老人ホーム「ふぁみぃゆ行田」が誕生して4年目を迎えました。母体は保育園で、300m程離れたところにふぁみぃゆ行田はあります。私は子供が好きで迷わず保母になり、30年以上を保育園の子供たちと過ごしました。楽しい年月でした。また「子供と同じくらいお年寄りが好き」という次第で、ふぁみぃゆ行田の立ち上げから係わりました。開設までの準備期間、開設してからの1年間は、気力と体力の試される毎日でした。2年目に入ると、運営も安定し処遇面でも大分充実してきましたが、やはり気の抜けない日々でした。この間私は休まず出勤、防災宿直も努めました。こう書いてくると大変なことばかりだったような印象を与えるかもしれませんが、そうではありません。ボランティアさんの歌や踊りに手拍子を打って喜んでおられるご利用者の笑顔から、「ふぁみぃゆの食事はおいしいよ」と相好をくずされる表情から、玄関ホールに私が生けている自己流生け花を、「いいね」「きれいだね」と誉めてくださる利用者や来訪者の方々から、苦労に倍する喜びとエネルギーとやりがいをいただいてきました。 
 いまでは、これまでの大変さが嘘のように穏やかな時間が流れるようになりました。
○ふぁみぃゆ行田は、一人ひとりの人格を尊重し、満足度を追求します。は、ふぁみぃゆ行田の運営理念の中で、最重要なものに位置付けておりますが、この理念が、施設の隅々に浸透してきているのを感じます。そして念願のホームページを開けるまでになったことは夢のようです。施設から皆様へお伝えしたいことはたくさんあります。今後、さりげない生活の一部を切り取って、「施設長日誌」として発信していきたいと考えています。
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